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ファミリーヒストリ―調査_自分でできる系図作成

ルーツを知る楽しみ

ルーツマップ(8系統)完成

今回のルーツマップの概要は、依頼人の曾祖父母の世代の尊属8系統がそれ以降きれいに上に伸びたバランスのとれた家系図となった。この図の見方は、一番下の白い枠にいる方が依頼人であり、その上のオレンジの枠に父母が記載されておりさらにその上に続く色のついた枠が全て直系尊属を示している。緑が曾祖父母の世代、青が高祖父母(4親等)世代、紫が五世の祖(5親等)世代、さらにピンク・オレンジと続き最も上が八世の祖(8親等)である。また、白い枠で囲われているのは依頼者から見て傍系となる親族である。
収載親族数180名、詳細が判明した最も古い祖先の生年月文化3年3月(1806年)・遡及年214年、最古世代は8世の祖まで解明。戸籍謄本と除籍謄本合わせ30件を関係市町村戸籍課から入手。町村合併に伴う廃棄処分により失われてしまったものが散見された。

 

 

この図の最も左の緑の枠は、父方の高祖父の系統であるが他の系統に比べて頭打ちである。各家系の平均寿命や、地域差あるいは暮らし向きにより戸籍がどこまで遡れるかに大きな差異がある。しかし、ここで気をつけて置きたい落とし穴がある。

無いと言われても諦めないで

多くの戸籍調査でぶつかる壁が「もうありません」という戸籍課からの返事である。しかし、この言葉には三つの種類があるので鵜呑みにしてはいけない。
①曾祖父母や高祖父母まで辿れたが、その上の記録が本当に存在しない場合。
②町村合併や何らかの事情で、存在すべき記録が破棄されてしまった場合。
③この自治体には無いが、どこか他所の町にあるかもしれない場合
上記、①の場合は多くの場合担当者から電話やメモでその旨が伝えられる。②の場合は、戦乱で役所が火災に合い戸籍が焼失した旨や町村合併の際破棄してしまった場合の知らせが来る。特に、後者の場合は自治体の首長の名前で基づいた根拠法を記載し適式に破棄した旨を述べ職印を押したレターが添えられる場合が多い。ここまでは、諦めるしか無い。

無いと言われても存在する場合の見分け方

問題は、③のパターンである。見分け方は、最後にもらった戸籍の筆頭者の生年月日が文化・文政年間まで古くないか、あるいは没年が明治年間ではなく大正年間となっている。この様な場合、もう一つ上の戸籍がある可能性が高いのである。では、なぜ「どこかにあるかも知れませんが当方では関知しません」とストレートに言ってくれないのだろうか?

そもそも、請求する側も役所の中で何がどの様な状態でライブラリーとなって保管されているのかも判らなければ、係の方もどの様な意図でどこまで徹底的に究明して欲しいのが伝わりにくいという問題がある。しかし、このパターンに陥る典型的な前提条件として、戸籍筆頭者が転籍をしたりそれに町村合併や廃村が絡んだ場合がある。

ここからが本当のルーツ探しです

地方の親切な戸籍課の係員の方は、比較的多くの場合「あなたの祖先の記録はこれ以上この街には無いのです」と電話で丁寧に教えてくれる。更に、その場所が同一県内であればその町と連絡をとり「OO町に再請求してみて下さい」とアドバイスしてくれる場合もある。しかし、これらはひとえに行政サービスの行き届いた自治体ならではのご配慮に過ぎない。そして、単純に「OOの戸籍をください」と請求しただけでは公務員としては上記の様なトラッキングをする義務も義理もないのである。

さて前出系図の、紫のボックスの一番左は欠けていた。この図の作図マナーとしては、父方を左に記載するのでこの位置の祖先はこの家系を名乗る総本家に繋がる系統であるが。しかし、ここだけが他の系統に比べ唐突に終わっているのはいかにも不自然である。そこで、当初「ありません」と言われた戸籍について上記③のパターンではないかと疑ってみることにした。

文字の判読トラブル

入手した最後の戸籍の転出元の表示を慎重に読み込んでみた。しかし、その地名の表示は癖字で小さい上にかすれて居て判読できない。戸籍を読み込む上での課題の一つに、字が読めない点が挙げられる。その要因として、下記の様な要因がある。

  • 名前などで多いのは変体がなで表記しており時代によっても変化している
  • 昔の戸籍を記録した戸籍官吏の文字が崩しすぎていて読めない
  • 改正原戸籍作成で使用した読み取りシステムの精度が悪い
  • 光ディスクや記録システムの原因ではないが筆記した文字自体がかすれて居る

この様な場合、自体の問題は辞書を探してあてはめてみるがその他のかすれの問題は為す術がない。結局は、同一戸籍の別のページに出てくる文字や漢数字を徹底的に比較するのみである。運が良いと、ある一つの読めない字が埋まる。それは、数字でも漢字でも良い。とにかく、一つのピースが埋まると次の謎が格段に説きやすくなる。今回の例では、転籍元が長野県のある都市の様に見えたが、上記の比較をして山梨県の「梨」がかすれて見えなくなって居たことに気づいた。その結果、本当の地名が浮かび上がったがそこは廃村となっていた。

廃村になっていたら??

この様な場合は、地名の変遷に関する地方の歴史を調べてみる必要がある。戦国時代から、明治・大正にかけて、ある村が別の町に合併されたり呼び名が変わったりする事はわが国では頻繁にある。また、政府の主導による市町村の大合併はこれまで数度繰り返されている。そのため、それらの変遷を示す資料はある程度入手しやすい。以前、九州地方でこの様なケースに直面し結局大元の本籍地を探しあてる事が出来なかった経験がある。しかし、その様な場合でも最小単位の地域の呼び名は継承されることが多い。今回は、その廃村の特定の小字の地名を本籍が存在すると推定される地域と重ね合わせ、ある市の戸籍課に戸籍の請求をしたところ無事入手出来た。

おそらく、この情報を埋める事ができたのでさらにこの先数十人分の氏名を埋めた系図の改定版を作成することになると思われる。また、次のステップである現地調査の足掛かりとして、戸籍の記録上の最も古い本籍地が特定できているという事はその家系の菩提寺を探す際かなりエリアが絞られるので効率的である。少なくとも、今回の依頼人は27系統の祖先の遺伝形質を引き継いでいる事が判明したと同時に、父方の大元の祖先の出身地を特定する事ができ後々訪問する楽しみが増えている様子である。

まとめ

以上、日本の戸籍制度では必ず江戸時代後期(文化・文政・天保年間など)に生まれた人から記録が始まっている。無論、ある理由でそれが存在しない場合もあるが、その理由は明確にすることを政府が自治体に義務付けていて多くの自治体も親切且つ丁寧に「無い」理由を教えてくれる。したがって、大正時代に他界した戸籍筆頭者の記録が最古の戸籍とは単純に考えるべきでない。大正元年(1912年)に他界した祖先が、仮に80歳で亡くなったならば生まれた年は天保3年(1832年)である。しかし、同じ方が50歳で亡くなっていれば生まれた年は文久2年(1862年)で明治維新の6年前で「若すぎると」直感して頂きたい。最低限、自治体に確認し「転籍してきた」のか否か、或いは「その前の本籍地(転出元)にさらにその上の戸籍が無い」と言い切れるか否かを確認することが望ましい。できればその転出元の地名の読み方まで教えていただくのが得策である。但し、戸籍の請求前に問い合わせる事は禁止している自治体も多いので、先方の戸籍課から電話が来た時が千載一遇のチャンスと心得るべきかもしれない。

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