サンプル成果物の系図
今回完成した系図はこちら。318人が戸籍と古文書で判明し、最も古い記録は天文20年(1551年)に亡くなった方のものだった。また、図の右上は天正19年(1591年)の豊臣秀吉の小田原攻めで落命した武士の祖先(右端)から始まる。右半分は、いずれの家系も関東から東北地方に移動した一族であり、明治維新の戊辰戦争の最中に役所の戸籍が消失している。そのため、図中右半分のエリアで依頼者から数えて4親等から上の尊属の記録が少ない。5親等から上の記録は、古文書館から提供された文書に出ていた記史実に基づく。尚、系図左半分の系統は長年北条氏が治めていた関東地方在住の祖先である。こちらは、戸籍により文化文政時代までの祖先は辿る事ができたがその上の記録はまだ見つかっていない。
系統の数え方
この家の系譜は5系統である。図中の枠でカラー表示になっている部分は全て依頼人の直系尊属である。つまり、遺伝子が確実に繋がっている。そのうち、緑色に塗られている枠の段が依頼者から見て3親等(祖父母)にあたる。一般に、この世代では8人の祖父母が出揃う。そして、そこからこの8系統の祖先を何処まで遡れるかがポイントとなる。この図では、最右端と右から三番目の系統が上記の事情で戸籍が消失しており辿ることができなかった。言い換えると、4親等の世代で2系統の記録が明治維新の戦乱で失われた。その反面、二番目と四番目の系統は分限帳そのたの古文書が発見された事から5親等から上が18代あるいは13代まで遡れている。注目すべきは、その子孫の繁栄ぶりである。個人情報のため、マスキングしてあるが、系図右側半分の子孫は依頼人とその子の世代まで含めて130名を超え、さらにその子孫の孫の世代まではこのスペースでは収載しきれないほど多い。
暮らしぶり
これらの情報を、戸籍や古文書で読み込んでゆくと祖先の暮らしぶりが見えてくる。代々長命の家系やが短命の家系、詩歌管弦に長け藩士を辞めて御家断絶の危機に直面した武家やなどそれぞれのユニークな生きざまは全て依頼人の遺伝子に繋がっている要因となっている。この系図でみると、右半分の系統は子孫も多いが左側は少ない。戸籍を詳しく辿っただけでも、その理由が少しずつ分かってくるので今後の子孫がより良く生きて行く為の参考となるファミリービジネスの選択のヒントや体質や資質のうえでの強みと留意点なども含めファミリーヒストリ―が物語ってくれる。
仕上げ作業
この後の仕上げとしては、全戸籍及び古文書情報を転記し西暦による命日計算リストの入力確認および系図上の序列と氏名没年行年のレビューの再点検を行う。そのうえで、これを指定された数だけ和紙に印刷し装丁を行い希望によって箱にいれる。その傍ら、親戚縁者にこの図を見てもらい思い出すことをインタビューして回り、最後にこの一族のしおりをまとめて系図とペアで一族のファミリーヒストリーが完成させる。未だ道半ばであるが、依頼人にとってはこれからが一番楽しい時間となる。
以上